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E.Mさん

外科医への夢から、英語を活かした仕事へ

お生まれはどちらですか?

佐久市出身です。会社から程近い場所で生まれ育ちました。子どものころは、『研修医なな子』という、女の子が研修医として奮闘し、やがて外科医になるという漫画の影響で、外科医になりたかったんですよ。それで、大学の医学部に行くためには中学から準備をしないとと思い、大学進学を目指して地元の佐久長聖中学校に行ったんです。そうしたら、英語の授業でリスニング力を褒められて、英語に目覚めてしまった(笑)。本当はアメリカの大学に留学したかったんですが、紆余曲折あって、外科医の道はあきらめました。ならば英語を使って仕事をしようと考え、高校卒業後、英語の専門学校に進学しました。「上級英語」という英語を極めるみたいなコースに2年通いました。

どのような経緯で、エムケーカシヤマに就職されたのですか?

最初から、東京ではなく地元で働くつもりだったので、佐久で英語のスキルを活かせる貿易会社などの仕事を探したんですけど、なかなか見つからなかったんですよね。そんなとき、就職合同説明会でエムケーカシヤマが海外向け業務の募集をしていることを知りました。自動車関係の仕事ということもあって、「この会社なら働いてみたいかも!」と思いました。だから、就職活動ではエムケーカシヤマしか受けなかったんです。

車には興味があったのですか?

父親が機械や車をいじったりするのが好きで、それを子どものころから見ていましたし、自分でも触らせてもらったりしていたので、わりと馴染みはありました。だから、プレーキパッドといわれてピンとこないというタイプではなかったですね。

車が走っているところなら、どこでもビジネスチャンスはある

就職されて、最初はどのような仕事をされたのですか?

入社当初は、受発注と船積みの手配の仕事がメインで、輸出入業務の手続き関係の業務担当でした。当時は東南アジアと中東を担当していたのですが、お客さまから注文が入ると、注文の内容を確認して、「注文を承りました」という内容の書類を英語で作成したり、通関のための書類を作成したり、貨物船を手配してくれる会社に船を予約したり、その船のスケジュール管理なども業務でした。

学校で学んだ英語は仕事ですぐに通用しましたか?

業務内容が専門的で、当然、学校では輸出入関係の英語などはまったく学んでいませんでしたから、そこは現場でやりながら覚えていくという感じでした。そうやって、輸出入業務の手続きにも慣れていったんですが、2010年ごろに海外向けの営業職に転向することになったんです。こちらは、海外にエムケーカシヤマの製品を売り込む仕事ですね。私は英語はできても、営業のノウハウなどはまったくない状態でした。その頃のことで印象に残っているのは、アメリカの販売を拡大したことですね。当時、我が社はアメリカでの売り上げはほぼなかったんですが、上司と一緒にラスベガスで開かれていた大規模な部品の展示会に飛び込みで行き、コネクションをつくるというとこからはじめたんです。それが最終的には年間で数億円の売上に結びつくようになりました。それからは、ずっと海外での営業の仕事に携わっていて、2022年に課長になりました。

もともと管理職には就きたかったのですか?

そうですね。キャリア志向は最初からありました。だから、課長になったときも、10数年かけて、やっとたどり着いたという感じでしたね(笑)。私は親が自営業だったという影響もあってか、自分の判断で仕事を進めたいという気持ちが強いほうかもしれません。現在、部下は3~4人で、担当地域は東南アジア、北中南米、ユーラシアと広いです。管理職にはなりましたが、もちろんいまも現場での営業の仕事は続けていて、多いと年に7、8回ほど、1回につき短くて1週間ぐらい、長ければ3週間ぐらい海外出張に行っています。これまで行ったことのある国は、20から30カ国ぐらいです。

海外で危険な目にあったことはないですか?

「海外」と聞くと、漠然と日本より危ないイメージがあるかもしれませんが、「怖い」とか「嫌だな」と思ったことはないですね。実際、危険な目にあったこともないですし。正しいかどうかはわかりませんが、私自身は「現地に人が住んでいるんだから、大丈夫でしょ」くらいに考えています(笑)。車が走っているところなら、どこでもエムケーカシヤマの製品を売り込めるチャンスがありますし、まだまだ自分が知らない世界がたくさんあると思っています。

海外との仕事でよかったことはなんですか?

やはり、まだ日本の製品や技術への信頼は高いんですよね。多少値段が高くても、車には日本の技術でつくったちゃんとしたパーツをつけたいという人は多くて、そういう声を聞くとうれしく感じます。また、現地に出張して実際に製品が売られている現場を見たときに、自分の仕事が海を越えて実を結んでいるんだなと感じるところがやりがいですね。

佐久の魅力、エムケーカシヤマの魅力

プライベートは、どのように過ごされていますか?

冬場はスノーボードをやっています。コロナ禍前までは、フットサルもやっていました。最近は、ヨガをはじめましたね。あと、犬を3匹飼っていて、犬たちと遊んでいます。

佐久の魅力はどういったところでしょうか?

生まれも育ちも佐久で、いまも佐久に住んでいる。じつは、高校卒業後に通った専門学校は東京にあったんですが、そこにも佐久から新幹線で通っていたんですよ。東京での家賃や生活費とかを考えたら、新幹線の定期代のほうが安かったのもありますけど……。それぐらい佐久の地が私のベースになっています。私が佐久で一番好きなのは、自然が多いことですね。ビルに囲まれた自然のないところで暮らすのがあまり性に合っていないのか、東京で暮らしたいと思ったことはありません。都会はいろいろと便利だし、エンターテインメントも多いので、それはそれで違った魅力だとは思いますけどね。佐久が自分の落ち着ける場所であるからこそ、仕事も趣味も楽しめている部分はあると思います。

エムケーカシヤマで働くことの魅力はなんでしょうか?

会社の規模が大きすぎないので、いろんなことが学べるし、いろんな仕事ができるというところですね。大企業ですと、業務ごとに組織が細分化されていたり、専門化しすぎたりしていて、狭い範囲の仕事しかやれない会社も多いと思いますが、エムケーカシヤマでは、色々な業務に携わるチャンスがあると思います。もちろん、会社の規模的に、ひとりがいろいろとやらざるを得ない状況の時もありますが……(笑)。ただ、将来的には、世界中の誰もがエムケーカシヤマのことを知っているくらいの大企業にしたいという思いもありますね。

就職活動をしている女性へ

今後、どういう若者に会社に入ってきてほしいですか?

チャレンジ精神があって、自分で考えて行動できる人ですね。あと、好奇心がある人。どんな仕事でも、好奇心がないと続けていくのは多分、難しいと思います。

就職を考えている女性に伝えたいメッセージはありますか?

私が働きはじめたときは、まだ女性が前線に立って働くことへのある種、偏見のようなものがありましたが、最近はそういうのはないですよね。私自身は、とくに女性の管理職であることを意識したことはないですし、これからの社会における女性の社会進出のあり方などを考えているわけではなく、自分自身がどうしたいか、どうありたいかということだけを考えてきて、現在に至っています。ただ、就職を考えている女性に一般的に言えることがあるとしたら、仕事のキャリアとプライベートの両方で、自分の人生の設計をしっかりしておいたほうがいいと思います。もちろん、仕事とプライベートを両立してくためには、会社の理解や制度も必要で、エムケーカシヤマは比較的理解の高い会社だと思いますし、育休制度などもあります。だから、就職先の候補のひとつとして考えてみてもらえたらうれしいなと思います。

ご自身は、どのような計画を立ててこられたのでしょうか?

私はキャリア志向が強かったので、かなり早い段階で仕事に主体の人生にベクトルを向けました。仕事に全力投球したい人がいてもいいし、仕事と家庭と両立したい人がいてもいい。エムケーカシヤマなら、さまざまなタイプの人が働きやすいと思います。