元コックの自由な
発想が拓く
新しい
摩擦材の可能性
摩擦材開発
S.S.さん
発想が拓く
新しい
摩擦材の可能性
元コック、現在は摩擦材開発研究員という異色の経歴
お生まれはどちらですか?
佐久市です。小・中・高と地元の学校に通っていましたので、生粋の佐久育ちですね(笑)。子どものころは、野山を駆けまわって遊んでいました。あと、家の近くに川や池があったので、夏休みなどは毎日釣りばかりしていましたね。高校生のときに中華料理店でバイトしたことがきっかけで料理に興味をもち、高校卒業後、東京の調理師専門学校に進学しました。そこでフランス料理とイタリア料理を学んで、卒業してから軽井沢のフランス料理店でコックとして働きました。ただ、そこのレストランが、朝5時からその日の仕込みが始まり、閉店は夜の10時から11時ごろなんですが、そのあと後に片付けなどで深夜1時まで働き続けるという過酷な環境で、体調を崩してしまい、1年半ほどで退職しました。
調理師から、どのような経緯でエムケーカシヤマに入られたんですか?
レストランを辞めてから、短期間居酒屋でバイトをしていたのですが、深夜に仕事するのが大変だったので、そのあと派遣会社に登録したんです。それで、製造業ってどんな仕事なのか体験してみようと思い、エムケーカシヤマの工場で派遣社員として働くようになりました。エムケーカシヤマの工場はSTAGE.1、2、3と3つありますが、私が派遣されたのはSTAGE.1の製造部署でした。具体的には、ドラムブレーキの中にブレーキシューと呼ばれる摩擦材を貼り付けた部品があり、鉄でできたシューコアと摩擦材を貼り付ける工程が担当で、シューコアを洗浄するところから、箱詰めするまでという仕事内容でした。派遣社員として4、5年働いていましたが、そのあと社員登用試験を受けて正社員として雇用されました。
工場の製造部署で働いていた頃で、一番印象に残っていることはなんですか?
派遣社員として働きだして2、3年目の頃ですが、完成した製品を梱包する箱の納入が不可抗力によるトラブルで間に合わず、深夜までずっと箱詰めを行ったことがありました。そのときは、仲間や上司の協力によって現場を止めずに間に合ったので、大変でしたけど、結果的にはなんとかなってよかったです。
素晴らしい師匠との出会い
現在、摩擦材開発に所属されていますが、どのような経緯で移られたのですか?
派遣時代も含めると、15年間ほどSTAGE.1でブレーキシューの製造に携わってきたのですが、2022年に会社の方から摩擦材開発に移ってほしいという話があり、異動しました。その頃はディスクブレーキに使うブレーキパッドの摩擦材の研究開発が主流で、ドラムブレーキに使うブレーキシューの摩擦材の研究開発の人材が手薄だったみたいなんです。それで、ブレーキシューの製造を理解している人間ということで私に白羽の矢が立ったようなのですが、私自身は不安しかなかったです。ブレーキの摩擦材というのは、樹脂やアラミド繊維、金属、黒鉛、ゴムなど10~20種類の原材料を配合して作るのですが、私は化学などを専門的に勉強してきたわけではないので、本当に自分にできるのかなって……。ただ、摩擦材開発の部署で素晴らしい師匠とめぐりあって、いろいろと教えていただけたので、異動してから1年ほどでなんとかやっていけそうだなと思えるようになりました。師匠には、いまでも本当に感謝しています。その師匠は、当社でブレーキシュー用の摩擦材を開発する第一人者みたいな方なんですが、残念ながら2024年3月に定年退職されてしまいました。まだ他にもいろいろなことを聞いておけばよかったと後悔しています。
摩擦材開発では、具体的にはどのようなお仕事をされているのですか?
摩擦材は数百種類ぐらいの原材料の候補の中から、先ほどお話ししたように10~20種類の原材料を選定して、それを配合して作るのですが、1回の配合でうまくいくことはほとんどありません。試作した摩擦材は、ダイナモ試験機という機械などで検査し、摩擦係数や硬さ強度などを調べます。それで望んだ数値が出なかったら、じゃあ次はこの原材料を入れてみようと、ひたすら調整していくんですよね。トライ&エラーの積み重ねが基本で、最終的に実際の車に装着して問題がないか確認をします。製品になるような新しい摩擦材ができるのは年にひとつぐらいです。だから、配合はダメ元でやってみるという感じですね。期待しすぎると、ダメだったときに落ち込んでしまうので(笑)。あと、摩擦材開発というと、研究室で白衣を着て、コンピューターで計算してみたいなイメージをもつかもしれませんが、粉状の原材料を量って混ぜてといった作業ですので、普段は作業服を着てやる仕事が多いですね。ダイナモ試験機もオイルを使うので、けっこう手が汚れます(笑)。
工場の製造の現場にいた経験は、摩擦材開発で役に立っていますか?
摩擦材開発そのものに役立ったというわけではありませんが、ディスクブレーキに使うブレーキパッドとドラムブレーキに使うブレーキシューは構造がまったく違うので、ブレーキシューのことがある程度わかっているというのは役立ちましたね。
摩擦材開発の仕事で心がけていることはありますか?
ブレーキは問題があれば人命に直結するので、新しい摩擦材の開発はやはり緊張します。また、自分では納得のいく製品ができたと思っていても、実際、市場に出回って4、5年経たないとユーザーの方々の最終的な評価がわからないため、なかなか安心できないです。あと、製造の現場にいた時はあまり気にしていなかったのですが、ブレーキを踏んだときに出る異音の「ブレーキ鳴き」には神経質になりましたね。ブレーキ鳴きの発生は摩擦材とも関係が深いのですが、車の状態によっても変わってきますし、条件や組み合わせによって発生するリスクを完全にゼロにすることができません。しかし当社では、ブレーキ鳴きを抑えることは、ドライバーの快適な走行に繋がるため、重要な品質として考えているので、そこはプレッシャーですね。普段も、誰かが運転している車がブレーキをかけて「キー」といった音が鳴るのを耳にすると、ドキっとします。完全に職業病です(笑)。
3つに分かれている工場の統合に期待
プライベートはどのように過ごされているのですか?
私はスノーボードやサーフィンが趣味で、空いた時間に畑仕事で土いじりをしています。長野県は海なし県なので、サーフィンをやるには茨城県か新潟県に出る感じですが(笑)。それと、隣に軽井沢があって、おしゃれなレストランやカフェ、パン屋さんなどがたくさんあるので、家族で食べ歩きもよくします。店は妻が探してくるのですが、私ももともと調理師だったので、おいしい料理のお店に行くのは好きですね。家でも私が料理を作ることがよくあります。
佐久の魅力はどういったところでしょうか?
自然も豊かで川の水も綺麗なのがいいですね。そうした自然豊かな環境でありながら、新幹線や高速道路が直結しているので東京に出やすいのもいい点だと思います。唯一の欠点は、先ほどもいいましたが、海が遠いところです(笑)。でも、調理師専門学校の卒業後に軽井沢のレストランに入ったのも、そのあとエムケーカシヤマに入ったのも、佐久から通えるというのが一番のポイントでしたので、やはり地元が好きです。東京は人が多すぎて、自分には合いませんでした。
エムケーカシヤマの魅力はなんでしょうか?
自由な環境が魅力ですね。もちろん、規律や上司への報告・相談・連絡は必要ですが、なにかをやりたいと思ったときに、あれはダメ、これはダメと窮屈なことを言われる環境ではないので、とても働きやすいです。あと、自分の属している部署だけでなく、他の部署の人にも気軽に相談することができる、風通しのいい社風は魅力だと思います。そういう意味では、現在、佐久市内にある3つのエムケーカシヤマの工場が少し離れていて、移動に不便があるので、将来的にはひとつに統合できたらいいですね。そうしたら、もっと工場同士のコミュニケーションも活発になって、より仕事の効率アップや新しい発想が生まれやすくなるのではと期待しています。工場の統合という話は先代の会長の時代から出ていたようですが、さまざまな面で、簡単ではないようです。でも、いずれは統合してほしいと思っています。
これからエムケーカシヤマに入ろうと考えている人にメッセージがあれば。
私は元調理師という完全な異業種からの転職組で、しかも最初は派遣社員からスタートしましたが、現在は摩擦材開発で充実した日々を送っています。摩擦材開発では、化学関係の基礎や専門的な知識が必要な場面が多々ありますが、働きながら学ぶことができますし、多様な人材が働きやすい開けた社風だと思うので、いろいろな経歴をもった人に来てほしいですね。