仕事も育児も
全力投球で
充実感を
感じる毎日
設備開発
Y.I.さん

地元愛から、佐久の企業に就職

お生まれはどちらですか?

佐久市臼田の出身です。小・中学校と臼田の学校に通って、高校は長野市にある高専(高等専門学校)に入りました。中学生のとき『頭文字【ルビ/イニシャル】D』というマンガを読んで車が好きになって、将来、車関係の仕事がしたいなと思ったんですよね。それで、地元にも機械科の高校はあったんですが、親元を離れてみたいという野心もあり、高専の機械工学科を選びました。

高専卒業後、どのような経緯でエムケーカシヤマに就職したんですか?

わたしは地元愛がけっこう強くて(笑)、佐久に戻って働こうと思っていたんですよ。人混みがあんまり好きじゃないから、東京で一人暮らしをして電車で通勤っていう選択肢はなかったですね。ある日、高専の図書館にエムケーカシヤマを紹介する冊子が置いてあるのを見つけ、佐久市に自動車部品を作っているところがあるんだって知りました。普段図書館には行かない人間だったので、偶然の出会いでしたね。入社試験は、SPI総合検査と面接でした。いちおう試験勉強もしましたが、面接勝負だと思っていました。人間性で勝負というか。面接では「自動車は好きですか?」とか「海外に工場がありますが、海外に行くのは好きですか? 海外出張には抵抗ありませんか?」といったことを聞かれました。自分なりにはそれなりの手応えはありましたが、実際に採点がどうだったかはわかりません。でも、おかげさまで無事、エムケーカシヤマに就職することができました。

コミュニケーションの風通しがいい会社

就職して、最初はどのような仕事をしたんですか?

最初の半年間は研修期間で、いろいろな現場に行きました。エムケーカシヤマがブレーキ部品を製造する会社だということは当然理解していましたが、高専で車のエンジンとかミッションの仕組みなどの勉強はしていたものの、ブレーキ関係まではやらなかったので、入ったばかりのときは完全に素人でしたね。でも、研修期間は具体的な仕事を覚えるというより、会社の業務全体を把握しながら、会社に慣れるためのものという感じでした。みなさんが話しかけてくれたり、話を聞いてくれたりと、とにかくよくしてもらったという印象が強いです。研修期間が終わると配属部署が決まるんですが、わたしの配属は、社内の製造ラインの設備を開発する、設備開発という部署でした。設備開発では、電気機器をどのように配線・制御すれば正常に動くのか、制御系統を設計するための電気制御の知識が必要なんですが、じつは高専時代、電気制御の分野があまり得意ではなかったんです。でも、勉強してるうちにだんだん好きになって、いまでは電気制御系が一番の得意分野です。

設備開発では、具体的にどのようなお仕事をするんですか?

たとえば、直近ですと、成形機へ部品を投入する工程を、作業者さんに代わり、ロボットによる自動投入機を製作しました。ロボット自体は外部から購入して調達するのですが、それを自社製品の製造ラインに合わせて動かせるようにするのは、電気制御の分野であり、設備開発の仕事です。また、そのロボットに部品を自動的に供給する装置なども作ります。これは、機械工学や機構学の分野です。プログラミングなどのスキルが必要ですが、もちろん、配属されてすぐにできたわけではありません。ちなみに、設備開発での最初の仕事は、鉄板に四角い穴を空けて、機械用のカバーをCADで設計するというものでしたね。

最初に仕事で手応えを感じたのは、どんなときでしたか?

入社して3年ほど経って、製造工程をひとつにまとめることを目指し、ロボットを使った機械の設計・製作をしたときですね。工程を統合するためには、まず製品が完成するまでのすべての工程を知らないといけない。それで現場で話を聞いたりして設計するんですが、実際にロボットを稼働させてみると、どうしても改善すべき点が出る。それでまた現場に行って話を聞いて、何度も改善をくり返したことで、最終的に現場に受け入れられたときはうれしかったですね。

工程を統合するというのは、上からの指示ですか、現場からの要望ですか?

このときは現場からでしたね。経営陣から指示されることも当然あるのですが、当社はわりとコミュニケーションの風通しがよくて、誰もが意見を言いやすいですし、そうした要望があれば、みんなで話し合って、実際にやるときは助け合いながらやるという感じです。経営陣がまとめた「エムケースピリッツ」という行動指針があるんですが、そこには「看脚下(一歩一歩成長を積み上げていこう)」という言葉があります。大手の会社などでは企業の成長スピードを追い求めることが目的になっているところも多いですが、当社は組織全体で改善活動をしていきながら、確実にみんなで成長しいこうというのが目標になっています。だから、誰もが意見を言いやすい社風になっているんでしょうね。あと、自分が研究したいテーマがあったとき、それを上申して認められれば、しっかり時間と予算がもらえて研究テーマを突き詰めることができるのは、技術者として本当に働きやすいですね。

思い出深い仕事、失敗した仕事

これまで働いてきて、一番思い出深い仕事はなんですか?

思い出深い仕事はいっぱいあって答えるのが難しいんですが、最近の仕事でいうと、「シム内製化プロジェクト」でしょうか。シムというブレーキ鳴きの現象を防ぐ製品があって、これまでは部品を調達していました。それを自社製造できるよう日本の工場で試作を重ね、インドネシア工場に製造ラインの移管をすることができました。このプロジェクトは2020年頃からはじまっていて、試作のメインとなる製造チーム、シムを他社から購入していた業務チームや、シムの金型を作る製品設計チーム、品質を確認するQAチーム、さらにインドネシアの現地の工場のメンバーとも連携しながら進めていったんです。私もインドネシアに2週間ずつ2回出張し、現地の人たちと密にコミュニケーションを取りながら、トライ&エラーを繰り返し、2024年にようやく量産化の目途が立ったときは、うれしかったです。関係部署のメンバーと喜び合いました。

反対に、これまで仕事での失敗などはありましたか?

これも、インドネシア工場関係の仕事ですが、2017年にブレーキパッドの切削機を設計・製作したときでしょうか。日本で試作してテストしたときは問題が出なかったので、完成品をインドネシアの工場に出荷しました。ところが現地で稼働させてみると、問題が発生。長時間稼働させると切削機の耐久性に問題があることがわかりました。もっと現場の情況を把握して、厳しいテストをするべきだったというのが反省点です。その問題を解消すべく、インドネシアへ出張となり、それが私にとってはじめての海外出張でした。インドネシア工場で実際に機械を見て、改善点をピックアップしてから、図面を書いたり作れるものはその場で作り、暫定の対処をしました。あとはいったん日本に戻って、改めて図面を書いて送ったりと、とても大変でした。でも、その甲斐あって、いまは現地の工場でブレーキパッドの切削機が元気に稼働しています。また、学んだ事もたくさんあり、よい経験だったなと、今ではそう思っています。

育休も取りやすく、福利厚生も充実

現在、プライベートの時間やワーク・ライフ・バランスはいかがですか?

7歳、6歳、0歳の3人の娘の子育て中なので、プライベートの時間はほとんどそれに取られています(笑)。ゴルフが趣味だったんですけど、いまはできないですね。育児・家事の分担は、基本的には私が洗濯物、洗い物担当で、三女が起きればオムツを替えて、ミルクをあげて、離乳食は妻が冷凍してストックしてくれているので、それをあげてという感じです。仕事はできるだけ定時内に高いパフォーマンスを発揮することを心がけていますし、土日は基本的に休みなので、なんとかこなせているかなと思います。家事については、頑張っているつもりですが、奥さんからの採点はちょっと低いかもしれないけど(苦笑)。

子育ての大変さと楽しさは、どのくらいの割合ですか?

両方ですよね。大変だけど楽しいし、楽しいけど大変。でも、大変じゃないことをしていても楽しくないのかもと思います。公園に連れて行くのも楽しいけど大変だし、一緒にお菓子を作るのも超大変ですけど、楽しいです。子育てに関していうと、佐久市は自然も多く公園もたくさんありますし、教育面も充実しているので、子育てしやすいのかもしれませんね。

エムケーカシヤマは、育児休暇などは取りやすいですか?

はい、男性でも普通に取れますね。当社には、普通の育児休暇とは別に、少しだけ仕事をしながら育児のために仕事を休める「パパ育休」という制度があって、それを取得したいと上司に相談したら、快く受け入れてくれました。育休取得中は、会社から電話がかかってくることを覚悟していたんですが、一度もなかったです(笑)。昔は育休や家賃手当、退職金などの福利厚生面が弱かったようですが、いまは企業規模がやや大きくなってきたことで、どんどん福利厚生が充実していっていますね。ですから、ワーク・ライフ・バランスはきちんと取れていると思います。

エムケーカシヤマで働くことの魅力

エムケーカシヤマで働くことの魅力を教えてください。

「こういうことをしたい」と言ったとき、それを否定されないことですね。自分で考えて行動するというのは大変なことも多いですが、子育てと一緒で、大変だからこそ得られる充実感や楽しさがあるのだと思います。やはり、大変なことをやらないと得られるものも少ないということですね。あと、具体的な「モノ」を作っていることのやりがいはあります。自分が設計した機械によって作られた製品が、みんなの乗っている車に使われているというのは、やりがいになるのと同時に責任もひしひしと感じます。

将来、自分が社内でどのような人材になっていきたいという展望はありますか?

当社にはスペシャリストがたくさんいるので、わたしもその一人になりたいですね。その上で、「すごいモノを作りたい」という思いはあります。ただ、日々の仕事では目の前のことを精いっぱいやるだけですし、「すごいモノ」を作るのは自分ひとりでは無理で、実現するにはさまざまな方の力が必要になります。だから、けっして独りよがりになるのではなく、普段から周囲とコミュニケーションを取って、みんなで力を合わせるのが大事になってくると思います。そういう意味では、先にも言いましたが、エムケーカシヤマは風通しがいいので、それがしやすい環境ですね。

最後に、今後どういった若者に会社に入ってきてほしいですか?

自分で考えて、それを形にするのが好きな人です。別に専門知識はなくてもいいんですよ。私も入社したときはブレーキに関して素人でしたし、専門知識は会社に入ってからいくらでも学べる。いくら学校で専門知識を学んだといっても数年のことじゃないですか。会社に入ってからの時間のほうが圧倒的に長いので、十分間に合います。ですから、「自分で考えてモノを作るのが好き」というだけで、少なくとも設備開発の部署だったら十分素質があります。そういう人に、どんどんエムケーカシヤマに入ってきてほしいですね。