佐久で育まれた
車好きの情熱を
モノづくりに
活かす
製造
K.Kさん

大学入学で一度離れた地元に戻り、エムケーカシヤマに就職

お生まれはどちらですか?

佐久の高瀬です。小・中・高と地元の学校に通っていました。子どものころは、学校では活発に遊びまわっていたガキ大将タイプでしたね。ただ、家ではおとなしかったみたいです(笑)。父は商社の営業マンで、いろんなカスタムカーの会社さんとつながっていて、休日になると父について行ってカスタムカーを整備しているのを見ていたので、小さいころから車好きでした。あと、モノ作りも小さなころから好きでしたね。高校卒業後、千葉県にある理系の大学の生産工学部に進みました。どの大学に行きたいというのはあまりなくて、兄がたまたま千葉に住んでいたので、千葉で兄と暮らせば実家の負担も減るかなという思いからの選択です。

大学卒業後、佐久にUターンして就職された理由はなんですか?

兄が千葉で就職したので、両親のことを考えると、私は地元に戻ったほうがいいかなというのはありましたね。あと、もともと都会にあこがれがなかったので、むしろ慣れ親しんだ土地のほうがいいという気持ちもありました。それで、佐久の製造業の会社2社から内定をもらったんですが、そちらの会社は自動車関係ではなかったんです。できれば、子どものころから好きだった自動車関係の仕事に就きたいと思い、エムケーカシヤマも受けることにしました。面接では副社長がいらっしゃったんですが、気さくな感じでお話ししていただき、無事入社が決まりました。

理論をきちんと説明し、なんでも訊きやすい雰囲気をつくる

入社して最初に配属された部署はどこでしたか?

いまもいる製造部門です。仕事内容も、当時からずっと電気溶接を担当しています。電気溶接は、金属に電気を流して、そのときに発生する熱で部品を接合する溶接方法です。そのくっつく力があまいと部品が剥がれてしまうので、製造において重要な工程になります。私が製造部門の電気溶接に配属されたのは、大学の研究室で溶接関係の研究をしていたからだと思うんですが、私が大学でやっていたのはいわゆる普通の溶接だったんですよね。電気溶接はまた全然違う技術なので、入社してしばらくは覚えることが多くて大変でした。

どうやって仕事を覚えていったのですか?

先輩方にいろいろと教わりながら、やっているうちに、いつしかやっていけるようになっていった感じです。ただ、私が入社した当時は、そうした技術や知識も職人さん一人ひとりが自分の中にもっていて、とくに文書化されたマニュアルなどがなかったのも大変だった理由のひとつです。まだ、「見て覚える」、「やって覚える」という世界だったというか(笑)。いまは私も部下ができて、若い人たちに教える立場になりましたが、そうした自分の経験も踏まえて、できるだけ文書にしたりしながら、理論面もきちんと説明するようにしています。私のときは「ここをこうすれば、こうなる」で説明が終わりで、なぜそうなるのかが、なかなかわからなかったんですよね。もちろん、現場で手を動かして実際に体験しないと覚えられないことも多いんですが、理論面もわかっていると理解が早くなるので、そこは意識して教えるようにしています。それと、上司や先輩になんでも聞きやすい雰囲気を作ることは心がけています。

仕事でのやりがい、また反対に苦労などあれば教えてください。

やりがいを感じるのは、機械の修理などで複雑な機械を組み上げて、また動くようになった時ですね。それと、若手への教育で、彼らがいままでできなかったことができるようになっていたときにも、やりがいを強く感じます。苦労のほうは、部品がわりと重かったり、溶接した直後の部品がかなり熱くなったりしているので、入社当初はそれを扱うのに四苦八苦していましたが、いまは慣れてしまったので、とくに苦労とは感じないです。

これまでで一番印象深い仕事はなんですか?

いま話した機械の修理にも少しつながることなんですが、2018年ごろに設備開発の部署に数ヶ月ほど研修に行かせてもらったことです。設備開発は、自社の製品を作るための機械を設計している部署ですが、当時、製造部門では機械の電気系統が壊れるたびに、設備開発の人に来てもらって、原因を探って対応してもらうという状況でした。それで、製造部門でも、少しは機械の電気系統がわかる人がいたほうがいいということになり、私が研修に行くことになったんです。電気関係の知識はまったくなかったんですが、設備開発の人たちにマンツーマンで配電盤の組み立てや修理などを親切に教えていただきました。そのおかげで、いまは機械に不具合が出たとき、電気系統のトラブルでも、中を見て、ここがダメになっているなどわかるようになれたのは本当によかったです。

2024年から新設された時間休制度

プライベートは、どのように過ごされているのですか?

車が好きなので、昔は日産・シルビアに乗ってドリフトしたりしていたんですよ。あと、バイクも好きでヤマハ・TZRに乗っていました。でも、結婚を機にドリフトはやめて、子どもが生まれてからはバイクも手放し、車もファミリーカーになったので(笑)、いまは趣味らしい趣味はほとんどないですね。趣味に使っていた時間は、ぜんぶ子育てのほうに回しています。8歳と4歳の子どもがいるんですが、妻も働いていて、私より帰りが少し遅いので、私が子どもを迎えに行ったり、ごはんを作ったりしています。土日も、家の掃除をしたり、子どもを公園に連れて行ったりといろいろしているうちに、終わってしまいますね。いずれ子どもが高校生ぐらいになって手が掛からなくなったら、また車とバイクの趣味は復活させたいです。

エムケーカシヤマの福利厚生はいかがですか?

うちの子どもが生まれたころは、まだ男性の育休制度が整備されていなかったんですが、いまは育休制度やパパ育休制度なども整備されて、福利厚生が最近とくによくなっていますね。有給休暇に関しては昔から取りやすい会社でしたが、2024年からは新たに時間休も取れるようになったので、子どもが熱を出したときとかも、1、2時間だけ休みをもらって迎えに行くということができるようになり、半日単位で休まなくてよくなったのは助かっています。そういう意味でエムケーカシヤマは、かなり働きやすい会社だと思います。

求めるのは、普通のコミュニケーション能力と少しの根性と体力

佐久の魅力はどういったところでしょうか?

大学を卒業して戻ってきてから、また生まれた育った高瀬地区で暮らしています。だから、大学の4年間以外、ずっと佐久暮らしです(笑)。やはり佐久の魅力は、気候も安定していて過ごしやすく、自然に囲まれている点ですね。子どもも川遊びさせたりして、自然のなかで育てられるので、子育て世代には向いている町だと思いますよ。同時に、新幹線が通っているので、都心部へのアクセスが比較的容易なのも魅力のひとつですね。

では、エムケーカシマヤマの魅力はどういったところでしょうか?

社員の皆さんがとてもやさしく、親身になっていろいろ教えてくれるところだと思います。昔は少し怖い上司などもいましたが(笑)、いまはみんなフランクな関係というか、あまり上下関係を感じない雰囲気になっています。だから、他愛もない雑談から仕事のことまで、気軽にコミュニケーションができる環境です。それと、自分でやりたいことがあればなんでもチャレンジさせてもらえるのも魅力です。

今後、どういった若い人に会社に入ってきてほしいですか?

会社に入ってすぐは、なにもできなくて当たり前ですので、即戦力である必要はありません。普通にコミュニケーション能力があれば、仕事の内容は上司や先輩が教えてくれるので、自然と覚えていけます。コミュニケーション能力といっても、特別に高い必要はなくて、本当に普通に笑いながら、話しながら仕事できればそれで十分なので、そういう人に入ってきてほしいですね。あと、私の所属している製造部門でいえば、入社当初しばらくは扱っている部品の重さや熱さに苦戦しました。そのため、慣れるまでそれに耐えられるぐらいの根性と体力は必要かもしれません。これも、根性や体力がすごい必要ということではなく、ちょっとでいいんですが(笑)。熱い部品の扱い方もそのうちに慣れますし、重い部品も腕の力だけでもとうとすると大変ですが、だんだんと体の使い方に慣れてくると楽になります。扱う部品の重さをできるだけ軽くするというのは製造部門でもつねに議論に挙がっているのですが、まだ完全には解消できていなくて、将来の課題となっています。でも、慣れるまでは上司や先輩が親切に教えてくれると思うので、少しでも興味があったら気軽に当社の門を叩いてほしいですね。